チコ・フリーマン(Chico Freeman):サラブレッド故の葛藤があったのかな?
音楽一家じゃないよ。音楽一族だよ
彼も尖って出発した
チコ・フリーマン(Chico Freeman)も前回のアーチー・シェップ(Archie Shepp)と同じように、出発は十分尖っていました。そして同じようにある時丸くなり、同じようにコアなジャズファンから非難されました。厄介ですよね、ゴリゴリのジャズファンは(汗。
私は昔から自説を持っておりまして。唐突ですけど。「チコ・フリーマンが尖るのを止めたのはウイントン・マルサリス(Wynton Marsalis)の存在があったから」という仮説をもっているのです。一度本人にインタビューしたいくらいです。
音楽一族に生まれて
1983年に「Fathers and Sons」というアルバムがリリースされました。この中の曲も紹介したかったんですが、アップルミュージックでは見つからなかったのでアマゾンだけ貼っておきます。
上のジャケット写真を見てください。ボケボケで見づらいですが(笑。左から二人目がチコ・フリーマンです。一番左はボン・フリーマン(Von Freeman)、チコの父親でサックスプレイヤーです。チコの隣、写真の真ん中はウイントン・マルサリス、その隣はウイントンの兄ブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)、そして右端はマルサリス兄弟の父親エリス・マルサリス(Ellis Marsalis)です。そして、マルサリス兄弟とチコ・フリーマンは従兄弟どうしです、確か。「確か」と書いたのは、昔雑誌か何かでそう書いてあるのを見たからです。しかし、今回この稿を書くにあたって、そのことを確認しようとネットを隈なく調べて回ったのですが、その記述がある記事を見つけることは出来ませんでした。
ちょっと不安なんですが、今回の私がこれから述べる仮説は、チコ・フリーマンとウイントン・マルサリスが近い血縁関係にあるということを前提として、上記のアルバムが出た頃に立てたものですから、これが事実であるとして話を進めることにします。
AACMの影響
チコ・フリーマンは1949年にシカゴで生まれています。そうです、シカゴです。AACMのシカゴです。しかも、彼は大学卒業後、AACMのスクールに入っているんです。AACMと言っても、今はご存知の人は少ないでしょうね。
AACMは、Association for the Advancement of Creative Musicians(創造的音楽家の発展のための協会)の略称です。この協会は、ジャズ(結果的に主にフリージャズ)のような創造的ミュージシャンをサポートすることを目的に1965年に設立されました。昨年50周年を迎えたということで、今も活動しているということです。このAACMは設立当初、非常に活発に活動しており、ジャズ界にAACM旋風が吹き荒れました。有名なところではアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(Art Ensemble of Chicago)とそのリーダーのレスター・ボウイ(Lester Bowie)、以前少し紹介したことのあるアンソニー・ブラキストン(Anthony Braxton)などがAACMの中心で活動していました。
1976年にチコ・フリーマンはシカゴでファースト・アルバムをリリースします。そして翌年、ニューヨークに乗り込みます。
その頃の名盤「The Outside Within」から「The Search」と「Ascent」の二曲をお聴きください。
この頃のチコ・フリーマンはAACMの尖兵となってニューヨークジャズ界に乗り込み、バリバリ硬派なパフォーマンスを繰り広げていました。その頃AACMの尖鋭的なジャズはコアなジャズファンや批評家に絶大な評価を受けており、その中で新進気鋭の将来は前衛ジャズを担う存在としてチコ・フリーマンは思い切り持ち上げられていたのです。
ウイントン・マルサリスとの接点
1981年になって「Destiny's Dance」というアルバムを出します。残念ながらこれもアップルミュージックでは聴けませんのでアマゾンのみ貼っておきます。
このアルバムでウイントン・マルサリスをメンバーに起用します。この頃ウイントン・マルサリスはジュリアード音楽院の学生で、一方ジャズ・メッセンジャーズにも所属していました。チコ・フリーマンにしてみれば、親戚の若いウイントンが可愛くて仕方なかったのかもしれません。おまけに有り余る才能がウイントンにはありました。
そして牙が抜けた
1984年に「Tangents」をリリースします。コアなジャズファンが「???」となりました。チコ・フリーマンの牙が以前ほど鋭くないのです。相変わらずおもしろいアプローチをしてはいるのですが、彼自身のプレイに尖鋭的で攻撃的な部分が弱くなっているのです。聴いてください。「Ballad for Hakima」と「Spook and Fade」
ウイントン・マルサリスの影響
ウイントン・マルサリスは1983年にグラミー賞を受賞しています。それも、ジャズとクラシック二部門同時受賞です。チコ・フリーマンのアルバムに参加してから二年後にです。そして、同時期にチコ・フリーマンのスタイルにも微妙な変化が現れます。
ウイントン・マルサリスの台頭は当時のジャズ界には衝撃的でした。圧倒的なテクニックとすぐれた音楽理論に裏打ちされた演奏でバップジャズからの延長線上にある正統派のジャズを展開するウイントン・マルサリスは「新伝承派」などとわかったような奇妙なカテゴリーまで生み出してしまい、一気に頂点に上り詰めてしまったのです。
このウイントン・マルサリスの台頭とチコ・フリーマンの変化が全く重なっているのです。
ここで私の仮説が出てくるのです。
チコ・フリーマンはウイントン・マルサリスと近しい関係にあっただけにウイントンが一気に上り詰めるのを見て、今までの自分のスタイルに疑問を感じたのではないかと。
止揚したと思いますよ
1990年にリリースした「You'll Know When You Get There」というアルバムを聴いてください。「The Trespasser」と「You'll Know When You Get There」の二曲です。
You'll Know When You Get There
- アーティスト: Chico Freeman,Von Freeman,Geri Allen
- 出版社/メーカー: Black Saint
- メディア: CD
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AACM時代の尖鋭的で攻撃的な演奏からは別人のようなマイルドな演奏ですが、明らかにアヴァンギャルド時代に培った音使いや奇抜なアンサンブルが活き活きとした曲調を作り上げ、個人的には好物です。
時代を作っていくのは諦めた感はありますが、悩んだ末に一段上に止揚したと私は感じています。
最後に、2015年リリースの最新アルバム(?)「The Arrival」から「One for Eddie Who 2」と「Dat Dere」です。お聴きください。
さてさて、成り行きですな(笑
次回はウイントン・マルサリスです。