ピアノ
パナマの英雄 ショーターを支えた強者 ダニーロ・ペレス(Danilo Perez)は1965年にパナマで産まれました。現代ジャズミュージシャンの多くがそうであるように、彼の音楽への入り口はクラシック音楽でした。20歳でアメリカに渡りバークリー音楽院に学ぶこと…
ジャズシーンにおけるゴッホ 今では誰もが彼を天才と呼ぶ フィニアス・ニューボーン Jr(Phineas Newborn, Jr.)は「不遇の天才」と言われています。死後認められたという点でゴッホになぞらえることが出来ますが、そのこと以上にゴッホと類似している点があ…
レッド・ガーランドとビル・エヴァンスのハイブリッド マイルスグループで活躍 ウイントン・ケリー(Wynton Kelly)も若くして亡くなってしまった稀有の才能です。彼はジャマイカ生まれだそうですね。R&Bグループでプロのスタートをきったようです。様々なミ…
突然の引退と復帰 ガーランド節 トミー・フラナガン(Tommy Flanagan)から「コロコロピアノつながり」です。レッド・ガーランドの場合、ブロックコード奏法からシングルトーンへと明確に分かれて弾きますので、シングルトーンでの「コロコロ度合い」がより…
コロコロ、コロコロ、小気味いい トミフラで溢れかえる いつ、どこで初めて出会ったのか思い出せないけど、気がついたら一番身近にいる。そんな存在なんですよ、トミー・フラナガン(Tommy Flanagan)さんは。誰と組んでやってるのがどうのこうのという意識…
ドルフィーとの共演が印象的 ミンガス周辺に偏る ミンガスつながりでジャッキー・バイアード(Jaki Byard)です。「ジャキ・バイアード」と表記されることがあります。1962年~1964年頃、ミンガスのグループで数多くのサイドマンとしての録音を残しています…
アメリカジャズ界の頂点にいた人なんだよね 英語版wikiに萎える 私がこのブログを書くについては、やはりネットで検索して参考にしながら書きます。自分の拙い知識や勝手な思い込みだけで書かないようにしていますが、そうなってくると、まずは手っ取り早く…
最もジャズった人でした スイング感とグルーヴ感 ジャズが他の音楽と異なる表現手段を持つことの一つに「スイング感」というものがありますが、このスイング感がどのように表現されるかについてはなかなか納得いく説明が得られません。このスイングの権化の…
常にジャズのメインストリームを行く 最も親しまれたピアニスト 前回のエルヴィン・ジョーンズのお兄ちゃんです。アメリカ人に最も親しまれたアメリカ人ピアニストと言っても言いすぎじゃないと思います。ケネディ大統領の誕生パーティーでマリリンモンロー…
豪快で華やかなピアノ 歳とっても頑張る 頑張る年寄りつながりで、今回はマッコイ・タイナー(McCoy Tyner)です。アルバムのリリースこそほとんどなくなりましたが、まだまだ元気にステージをこなしている姿がYouTubeでは見ることが出来ます。少し前になり…
ブルーノート一筋でした ブルーノートカラーは彼が作った アート・ブレイキー(Art Blakey)とともにジャズ・メッセンジャーズ(Jazz Messengers)を立ち上げたというつながりで、今回はホレス・シルバー(Horace Silver)です。ホレス・シルバーは、ブルー…
真面目な人柄で努力家 見るたび異なる外見 また、いつものペースに戻ります。今日はレイ・ブラウン(Ray Brown)からのつながりで、ベニー・グリーン(Benny Green)です。レイ・ブラウン・トリオにいましたからね。 この人ほど外見のイメージをたびたび変え…
超絶技巧でスイングの鬼 誰でも知っている 昔からどうしてもわからない不思議なこととして、「オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)は、あんなグローブのような手で何故あのように華麗で繊細で驚くようなスピードでピアノが弾けるんだろうか?」という…
結局ヨーロッパが良かったのね 喧嘩無敗の男 デューク・ジョーダン(Duke Jordan)の「デューク」は何故ついたのか?デューク・エリントンの「デューク」はわかりますよね?これは「デューク」だからです。しかし、デューク・ジョーダンはエリントンが既にい…
ペデルセンとの出会いが彼の後半生を変えた コペンハーゲンで華開く 前回のペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersenn)で述べたように、ケニー・ドリュー(Kenny Drew)を素晴らしいピアニストであると初めて認識したのは「Dark Beauty」においてでした。…
ビッグネーム不在だけどおもしろい ネットで探すしかない ジャズをリサーチする場合、昔ならスイングジャーナルを始めとしたジャズ雑誌で基本的な情報を仕入れ、気になったアーティストの新譜をジャズ喫茶でチェックするというような流れでよかったわけです…
ジャズに無限の可能性を与えたんだ へそまがりなんだろうね どんな世界にも現状否定したがる人っているものです。みんながワイワイ「そうだそうだ、これがいい、あれがいい!」と和気あいあいで盛り上がっている時、それを横目で睨みながら「そうかな~、そ…
その人生は、あまりにも悲しい結末 ジャズは彼から始まった バド・パウエル(Bud Powell)は1924年にニューヨークに生まれました。音楽一家で、トランペット奏者の兄のバンドでピアノを弾くようになったのは15歳の頃でした。当時はアート・テイタム(Art Tat…
記憶とアルバムの中で生き続ける 美人薄命 「美人薄命」と申します。また、「天才は夭折する」という言葉もあります。そんなことは限らないとはわかっていても、惜しまれつつ、若くして亡くなる天才たちは古今東西、枚挙にいとまがありません。 夭折というの…
本国よりもヨーロッパ・日本で人気のピアニスト マル・ウォルドロンとの出会い エリック・ドルフィー(Eric Dolphy)との出会いについては以前述べました。アルバム「Last Date」と偶然出会い衝撃を受けました。エリック・ドルフィーのことについてもっと知…
現代ニューヨーク・ジャズの原点を作ったんだよ Strata-Eastを立ち上げる 1970年代のジャズシーン、大手レコード会社のみならず従来のマイナーレーベルもコマーシャリズムに流されていく中、ニューヨークの若いジャズ・ミュージシャンたちが新たなジャズ・ム…
何が飛び出すか!チックのおもちゃ箱 最初は嫌がった? チック・コリア(Chick Corea)は短期間しかマイルス・バンドにはいなかったのですが、「In a Silent Way」や「Bitches Brew」などエポックメイキングな録音に参加することになります。参加当初、マイ…
マイルスの思想を引き継ぐ者 音楽と電子工学でドクターを持つ ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)はグリネル大学という大学で音楽と電子工学の博士号を取得したそうです。それを知った時「あ~なるほどね~~~」と妙に納得してしまいました。 マイルス…
エヴァンスの人生は時間をかけた自殺だった 何故ウエストコーストに行かなかったの? 「マイルス学校」の卒業生を語るには避けて通れない人物、ビル・エヴァンス(Bill Evans)です。 正直、あまり好みではありません。これは仲間内では有名な話(汗。 引用…