ドルフィーのバスクラを聴け

ジャズ(Jazz)を中心とした洋楽を、アップルミュージック(Apple Music)で聴けるように紹介していきます。

コルトレーンもビビってた?

コルトレーンが「一緒にやらないか?」

コルトレーンの移籍

1961年頃って、コルトレーンJohn Coltrane)はジャズ界の大物の一人になっていたんでしょうね。コルトレーンはその頃、アトランティック(Atlantic Recording Corporation)というレコード会社と契約してたんだけど、新たにインパルス(Impulse! Records)って会社と契約して、そこで「アフリカ・ブラス(Africa/Brass)」っていうレコードを録音したんです。その録音には結構多くのミュージシャンが集められたんだけど、ドルフィーEric Dolphy)もその中の一人だったんですよ。

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引用元:http://kingappleseed.tumblr.com/post/38680595118

 

アフリカ・ブラス

アフリカ・ブラス

 

 

Africa

Africa

 双頭コンボ

この録音の後、あまり日を経ずに、コルトレーンはアトランティックで「Ole」というアルバムを録音しています。実は、コルトレーンはアトランティックとの契約で、あと一枚録音しなければならなかったという事情です。

その録音にもコルトレーンドルフィーに参加するように要請したのです。ところが「Ole」のレコード・ジャケットの裏の「Personnel」を見ると、ドルフィーの名前がありません。代わりに、フルート担当は「George Lane」という見慣れない名前があがっています。

当時、ドルフィーはプレスティッジ(Prestige Records)というレーベルと契約しており、アトランティックのレコードに名前を載せることは許されなかったのです。

それでも、コルトレーンドルフィーを必要とし、ドルフィーとしてもビッグネームのコルトレーンと共演出来るメリットに惹かれたということですね。面白い逸話です。

 

オレ!

オレ!

 

 

Olé

Olé

 その後しばらくの間、二人は双頭コンボを組みます。今では双頭コンボって同格の二人のように言ってますけど、当時は二人の格は全然違い、やっぱりコルトレーンの一人リーダーという扱いだったと思いますよ。

でも、今では「双頭」と言っても違和感がないほどドルフィーに実力があったんですよね。コルトレーンとのコンビが長続きしなかったのはその辺に理由があったんじゃないかなと、これは勝手な想像ですけど。

コルトレーンがビビったんじゃないかな(笑

次回から

今回はこれくらいにします。せっかくコルトレーンに話題が移ってきたので、次回からはしばらくコルトレーンの曲を紹介したいと思います。