ドルフィーのバスクラを聴け

ジャズ(Jazz)を中心とした洋楽を、アップルミュージック(Apple Music)で聴けるように紹介していきます。

オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson):鍵盤の皇帝

超絶技巧でスイングの鬼

誰でも知っている

昔からどうしてもわからない不思議なこととして、「オスカー・ピーターソンOscar Peterson)は、あんなグローブのような手で何故あのように華麗で繊細で驚くようなスピードでピアノが弾けるんだろうか?」というくだらない疑問を持っているのであります(大笑。くだらないけど、結構マジです。

私はジャズなどまだ全然知らない幼少期から何故か「オスカー・ピーターソン」という名前は知っていました。今から思うと不思議なんですが、それだけ日本ではポピュラーなミュージシャンだったということでしょうか。

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引用元:http://www.latimes.com/entertainment/music/la-ca-ms-oscar-peterson-20151115-story.html

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サラ・ボーン(Sarah Vaughan):御三家の一人と言われてます

 ポップス歌手になりたかった?

 ジャズボーカルの印象

サラ・ボーン(Sarah Vaughan)との出会いはクリフォード・ブラウンClifford Brown)の有名なアルバムでした。私が買った初めてのボーカルアルバムでした。それまでジャズボーカルと言えば、白人のきれいなおねえさんがビッグバンドを従えて色っぽく歌うイメージしかなかったので、このアルバムには少しびっくりしました。もちろんクリフォード・ブラウンということで買ったアルバムでしたから彼のトランペットに期待してそれはそれで満足したわけですけど、そのトランペットと互角にはりあうようなサラ・ボーンのボーカルは凄いなの一言でした。

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引用元:https://wbgo.org/taxonomy/term/21781

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エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald):女帝という名がふさわしい

貫禄が違いますがな 

 今更ですが

ボーカルつながりで、エラ・フィッツジェラルドElla Fitzgerald)さまに来てしまいましたが、彼女のことは私などが語らなくとも既に語り尽くされているわけでして、今更なところがありますが、少しお付き合いください。

彼女との出会いは、学生時代に出入りしていたジャズバーでした。京都の四条木屋町近くにあった「厭離穢土(オンリエド)」という店で、カウンターが十席くらい、小さな二人がけのテーブルが2つほどの小さな店でした。小金を手にしたら友人を誘ってよく行きました。そこのマスターが渡辺さんという方ですが、一日に何度もエラ・フィッツジェラルドの「in Berlin」と「at the Opera House」をかけるんです。それで自然と親しんだというわけですが、そのおかげで、それらのアルバムはずっと買わず、学校を卒業してから十年以上経った頃懐かしくなって手に入れたという次第です。

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引用元:http://imagecompaniesenterprises.com/ailink/1626/

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シーラ・ジョーダン(Sheila Jordan):チャーリー・パーカーが認めた女

 若い頃は美しかったの

 特異なボーカル

シーラ・ジョーダン(Sheila Jordan)は前回のデューク・ジョーダンDuke Jordan)の元奥方ということで今回取り上げました。婚姻関係にあったのは1952年~1962年の約十年間ぐらいでしたので、今更何をということなんでしょうけど、結構有名な話なんで(汗。この話は有名ですが、実際に彼女のアルバムは日本ではあまりメジャーではありませんでした。というのも、彼女は女性ジャズボーカルですが、我が国のジャズファンが女性ジャズボーカルに抱いているイメージとは若干そぐわない唱法で歌うボーカリストだからです。私が彼女と初めて出会ったのは「Confirmation」というアルバムでした。私はほとんどジャズボーカルには興味がありませんでした。ほんの数枚、クリフォード・ブラウンClifford Brown)のボーカルものとエラ・フィッツジェラルドElla Fitzgerald)の超有名なのとかしか持っていませんでした。

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引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sheila_Jordan_Unterfahrt_2010-01-19-003.jpg

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デューク・ジョーダン(Duke Jordan):美しいピアノの最右翼

結局ヨーロッパが良かったのね

喧嘩無敗の男

デューク・ジョーダンDuke Jordan)の「デューク」は何故ついたのか?デューク・エリントンの「デューク」はわかりますよね?これは「デューク」だからです。しかし、デューク・ジョーダンはエリントンが既にいるにもかかわらずですから「それつける?」つう感じです。実は、この「デューク」は音楽とは全然関係なくって、「喧嘩が強かった」からなんですって(笑。若い頃「喧嘩で無敗の男」という意味で「デューク」がついたって、笑ってしまいますよね。

それはさておき「デクスター・ゴードンDexter Gordon)」の次に何故デューク・ジョーダンがきたのか?それはスティープルチェイス(Steeplechase)つながりです。それに、デューク・ジョーダンもヨーロッパ引っ越し組ですからね。

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引用元:http://www.allaboutjazz.com/dukes-delight-duke-jordan-steeplechase-records-review-by-mike-neely.php

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デクスター・ゴードン(Dexter Gordon):Sophisticated Giant と呼ばれた男

 アメリカとヨーロッパを渡り歩いた

 麻薬から逃れて渡欧

豪快なサックスを吹く印象があるデクスター・ゴードンDexter Gordon)ですが、彼の実像を伝え聞くと、繊細で心優しい男性であったことがわかります。また、背が非常に高かった(1m 98cm)ことでも有名です。若い頃からビバップの胎動期を、チャーリー・パーカーCharlie Parker)、ディジー・ガレスピーDizzy Gillespie)、バド・パウエルBud Powell)などとともに活動します。以来40年以上に渡りライブ、レコーディングを行いました。ただ、1950年代後半に数年のブランクがあります。これが麻薬の影響であったことは有名な話です。そういうことで環境を変えたかったのか1960年代に入るとデクスター・ゴードンもヨーロッパに渡ります。その頃同様に苦しみながらパリへと渡ったバド・パウエルと同地で共演しています。

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引用元:http://www.openculture.com/2013/08/dexter-gordon-plays-body-and-soul-in-the-noted-film-round-midnight.html

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ケニー・ドリュー(Kenny Drew):遅咲きの大輪です

 ペデルセンとの出会いが彼の後半生を変えた

コペンハーゲンで華開く 

前回のペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersenn)で述べたように、ケニー・ドリューKenny Drew)を素晴らしいピアニストであると初めて認識したのは「Dark Beauty」においてでした。それ以前は、コルトレーンJohn Coltrane)の「Blue Train」のピアニストであるというくらいにしか記憶にはありませんでした。しかし、「Dark Beauty」での彼は別人のように活き活きとしており、タッチも力強く華麗で素晴らしいピアニストであることを証明してくれたのです。このことについては衆目一致するところのようで、アメリカでは大物ミュージシャンと多数共演し、かなりのキャリアを積んでいながら大して目が出ず、人種的な偏見にも嫌気が差し、1961年にパリに渡り、その三年後にデンマークコペンハーゲンに移ります。やがて、コペンハーゲンで活動する中でペデルセンに出会い、一気に華を咲かせることになります。

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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=JRIWnL9wCRs

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