シーラ・ジョーダン(Sheila Jordan):チャーリー・パーカーが認めた女
若い頃は美しかったの
特異なボーカル
シーラ・ジョーダン(Sheila Jordan)は前回のデューク・ジョーダン(Duke Jordan)の元奥方ということで今回取り上げました。婚姻関係にあったのは1952年~1962年の約十年間ぐらいでしたので、今更何をということなんでしょうけど、結構有名な話なんで(汗。この話は有名ですが、実際に彼女のアルバムは日本ではあまりメジャーではありませんでした。というのも、彼女は女性ジャズボーカルですが、我が国のジャズファンが女性ジャズボーカルに抱いているイメージとは若干そぐわない唱法で歌うボーカリストだからです。私が彼女と初めて出会ったのは「Confirmation」というアルバムでした。私はほとんどジャズボーカルには興味がありませんでした。ほんの数枚、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)のボーカルものとエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)の超有名なのとかしか持っていませんでした。
引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sheila_Jordan_Unterfahrt_2010-01-19-003.jpg
East Windレーベル
「Confirmation」というアルバムですが、East Windからのリリースでした。East Windは1970年代半ばに日本で生まれたレーベルで100枚程度のリリースのみに終わってしまいましたが、日本のプレイヤー以外にもそこそこの名盤が生まれました。当時、そのEast Windからのボーカルのリリースということで珍しいことも手伝って手に入れました。聴いてみてすぐに気に入りました。ボーカルですが、楽器を聴いている感覚でそれも、かなりフリーキーな進行に独特の世界観を感じさせてくれたのです。
残念ながらこのアルバムはどこからも復刻されていなさそうで、アップルミュージックでは聴くことは出来ません。なお、East Windからリリースされたアルバムのうち一部はInner City Recordsという会社が引き継いでリリースしているようです。
彼女の初リーダーアルバム「Portrait of Sheila」から「If You could See Me Now」と「Dat Dere」をお聴きください。
長い空白期間
このアルバムから彼女のリーダー二作目である「Confirmation」がリリースされるまでは十数年の間隔があきます。
そもそも彼女は若い頃チャーリー・パーカーの演奏をボーカルで表現しようとして、チャーリー・パーカーの目にとまり彼に気に入られたというところから始まっています。半ばチャーリー・パーカーの追っかけみたいになっている頃にそのグループにいたデューク・ジョーダンと知り合い結婚したということです。その後もクラブ等で歌いながらボーカルの勉強を続け、1963年に上記のアルバムをリリースしましたが、離婚してシングルマザーとなり一人で娘を育てるために、歌の仕事から離れてタイピスト等で生活する日々が続きました。
そして長い空白機関の後、はるか遠くの日本のレコード会社からレコーディングのオファーが来て二作目をリリース、そして元夫が所属するスティープルチェイスから三作目をリリース、遅咲きながら第二の人生を始めたのです。では、三作目のスティープルチェイスからの作品「Sheila」から「Lush Life」と「Don't Explain」の二曲をお聴きください。
後進の指導
聞くところによると、かなりの高齢になった現在も精力的に後進の指導にあたっているということです。また、YouTubeでもそのような画像を目にすることがあります。さて、最後に2008年にリリースしたアルバム、おそらくはこれが最後のアルバムになると思われますが、「Winter Sunshine」から「Lady be Good」と「Sheila's Blues」をお聴きください。
次回は、エラ・フィッツジェラルドです。