デューク・ジョーダン(Duke Jordan):美しいピアノの最右翼
結局ヨーロッパが良かったのね
喧嘩無敗の男
デューク・ジョーダン(Duke Jordan)の「デューク」は何故ついたのか?デューク・エリントンの「デューク」はわかりますよね?これは「デューク」だからです。しかし、デューク・ジョーダンはエリントンが既にいるにもかかわらずですから「それつける?」つう感じです。実は、この「デューク」は音楽とは全然関係なくって、「喧嘩が強かった」からなんですって(笑。若い頃「喧嘩で無敗の男」という意味で「デューク」がついたって、笑ってしまいますよね。
それはさておき「デクスター・ゴードン(Dexter Gordon)」の次に何故デューク・ジョーダンがきたのか?それはスティープルチェイス(Steeplechase)つながりです。それに、デューク・ジョーダンもヨーロッパ引っ越し組ですからね。
引用元:http://www.allaboutjazz.com/dukes-delight-duke-jordan-steeplechase-records-review-by-mike-neely.php
ジャケットも中身も
デューク・ジョーダンのアルバムも「ジャケ買い」しました。このアルバムは私以外にもジャケ買いした人多かったんじゃないでしょうか?スティープルチェイスからリリースされた「Flight to Denmark」です。LPレコードの時代、ジャケットのデザインは重要な要素でした。従って、デザイン的にカッコイイアルバムはそれだけでも人気が出るってなもんでした。そんな中、このデューク・ジョーダンのアルバムのジャケットは思わず引き込まれていくような清新なイメージを与えてくれたのです。これで中身がイマイチだったら「みかけだおし」なんでしょうけど、そうじゃなかった。一気にデューク・ジョーダンの代表作の一枚になってしまいました。そしてスティープルチェイス初期の名盤に数えられるものとなったのです。ではそのアルバムから「No Problem」と「On Green Dolphin Street」の二曲をお聴きください。
シグナル・セッション
私のやってたジャズ喫茶で一番リクエストが多かったデューク・ジョーダンのアルバムは「シグナル・セッション」だったですね。片面がトリオでもう一方がクインテットというアルバムでしたが、圧倒的に「トリオの面をかけて」というリクエストが多かった、いやいや「クインテットの面をかけて」というのは記憶では皆無だったと思います。これほど面でリクエストされるのは他にはなかったです。では、ちょっと比較のために両方聴いていただきましょう。トリオで「They can't Take That Away from Me」、クインテットで「Cu-Ba」です。
う~ん、どうなんでしょ?(笑。
人生はジェットスター
伝説のチャーリー・パーカー(Charlie Parker)のコンボにマイルス・デイヴィス(Miles Davis)とともに参加していながら、その後は多くのミュージシャンのサイドマンとして沢山のレコーディングに参加はするものの決して恵まれた環境ではなく、1960年になって数枚のリーダー作は出しますが、やがて音楽から遠ざかりタクシードライバーをやったり、ホームレス生活をしていた時期もあったという説まであります。その彼がヨーロッパに渡り、ついにスティープルチェイスというレーベルで息を吹き返し、見事な活躍をすることになります。その最初のアルバムが先に紹介した「Flight to Denmark」です。彼のアルバムには「Flight to ○○○○」というのが多いです。ちなみにそのきっかけになったのが「Flight to Jordan」というアルバムですが、もちろんこの「Jordan」は「ジョーダン」と「ヨルダン」をかけたものです。それでもって、やっぱりなんですけど「Flight to Japan」もあるんですよね(笑。せっかくですから、最後にその「Flight to Japan」から「Love Hotel」と「Flight to Japan」を聴いてください。
次回はシーラ・ジョーダンです。